【M-1 2018】アナザーストーリー敗者たちのリアル

m-1_アナザーストーリー

2018年12月27日(木)に放送されました「M-1アナザーストーリー~あの日、人生が変わった~」では、M-1グランプリ2018出場者がM-1という大会を通して漫才にとりつかれ、翻弄(ほんろう)される様子が、生々しく描かれました。

M-1に挑戦する芸人たちの裏側とは一体どのようなものなのか。通常テレビでは見えてこない芸人たちの壮絶なリアルが、そこにはありました。
この記事では、テレビの中では紹介されなかった情報も含めて詳しく紹介いたします。

目次

プロローグ

ライバルなのにチームプレイ

ネタを行う順番は、当日番組中に「笑神籤(えみくじ)」と呼ばれるくじを引いて決まるので、どの順番でネタをするかは誰にもわかりません。

そんな緊張感のなか、一番初めに「見取り図」の名前が呼ばれ、出場芸人の控室から出番のためステージに向かう見取り図に、他の出演芸人たちが「行ってこい」「頑張れ」と言いながら見取り図の二人の背中をたたいたり、ハイタッチして送り出していたのです。

出場芸人の誰もが当然自分たちが優勝したいと思っています。出番は最初の方に出た方が不利と言われており、ましてや1番初めの出番は1番不利と言われている。その1番目に見取り図が呼ばれ、自分たちがトップバッターでなくて良かったと思ってもおかしくないのに、「がんばれ」と送り出す芸人たち。

M-1グランプリ2018は霜降り明星が優勝するわけですが、番組の最後に審査員の松本人志さんはこう仰いました。

松本「なんかね、前半全体的に重かったじゃないですか。後半みんなチームプレーみたいな感じで漫才を盛り上げてくれてるのが…俺、おっさんやな。泣きそうになってるわ。ごめんなさいね」

松本さんは出場芸人の控室の様子を見てはいないはずです。でも確かにそういった雰囲気を、松本さんは感じておられたのです。

お笑い芸人の美しさが、そこにはありました。

去年のM-1との違いに気付き始めた決勝経験者たち

1組目が見取り図、2組目がスーパーマラドーナでしたが、二組とも得点が伸び悩みました。

その時点で、2017年のM-1決勝経験者たちは、気付き始めていました。

「去年のM-1とは何かが違う」と。

決勝進出者たちのストーリー

かまいたちのストーリー

2017年のキングオブコントで優勝し、その年のM-1グランプリでも決勝進出と、今ではネタに関しては一級品のかまいたちですが、かまいたちのM-1挑戦の道は決して平坦なものではありませんでした。

準決勝の呪縛(じゅばく)

かまいたちが初めてM-1の舞台に立ったのは2004年でした。かまたいちの結成も2004年です。当時は「かまいたち」ではなく「鎌鼬」という漢字のコンビ名でした。

M-1初挑戦。結果は2回戦で敗退します。

そして翌年2005年。結成2年目で準決勝に進出します。

順調に見えたM-1挑戦。しかしそこから、かまいたちの苦難の道が続きます。

2006年、準決勝敗退。
2007年、準決勝敗退。
2008年、準決勝敗退。

どうしても、決勝へ行けない―。

2009年、結成5年目の自信

4年連続で準決勝を経験し、結成5年目のかまいたちは並々ならぬ決意を持ってM-1に臨(のぞ)んでいました。

濱家「ほんまに今年は決勝しか見てないんで。もう嫌なんですよ毎年毎年準決勝で」
山内「一個やってみたいネタがあるんで、それでなんとか行ってほしいですけどね。準決でハマればいいんですけど」

かまいたちは2007年に「第28回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞」、「笑いの超新星 新人賞」を獲得し、2008年には「第43回上方漫才大賞新人賞」といった関西のコンテストを数々受賞し、関西ではすでに実力が認められていました。

そして2009年のM-1はその数々の賞を獲得し自信を得て、満を持して挑んだ大会でした。しかし、結末はあまりにも残酷なものだったのです。

結成5年目、勝負の年でまさかの…

自信を持って臨んだM-1グランプリ準決勝の舞台上で、山内さんがネタを飛ばしてしまったのです。

意外と大きな大会でもネタをちょっと間違えるといったことはあります。しかしそれをわからないようにカバーして乗り切るということがあるのです。実際、M-1グランプリ2018の予選でも、決勝に進出したギャロップは準々決勝で毛利さんがネタを間違えてしまったのですが、お客さんには気付かれず、決勝に進出しています。

しかし、2009年の予選での山内さんのネタの飛ばし方は、カバーできるような飛ばし方ではありませんでした。完全に会場の空気が停止してしまうほどの致命的なものだったのです。しかし、山内さんが致命的なミスをしてしまったわけですが、相方の濱家さんは山内さんを責めることはしませんでした。

濱家「山内がネタ飛んだとかじゃなくて、それが今のかまいたちの力やったんかなとか」

あくまで、かまいたちとしての力のなさだったと自省したのです。

2010年、失った自信は取り戻せず

2009年に致命的なミスで決勝を逃したかまいたちは、2010年の挑戦でも、失った自信を取り戻すことが出来ずにいました。2010年のM-1挑戦について聞かれ、山内さんはこう答えました。

山内「思い切ってネタさせてもらおうと、もうそれだけです。決勝進出しようとかいうおこがましい気持ちは今のところ無いです」

しかし、人生をかけてギラギラした目で挑んでくる芸人たちに、消極的な気持ちで勝てるほどM-1という舞台は甘くはありませんでした。2005年から2009年まで5年連続で準決勝に進んだかまいたちは、2010年では準々決勝で敗退してしまいます。

地獄の底から復活

2010年を最後にM-1グランプリは一度、幕を閉じます。しかし、2015年に再びM-1が復活。2017年にかまいたちは念願の決勝進出を果たし、4位という結果を残します。

かまいたちの歴史はM-1挑戦の歴史でもあります。2018年の11月にM-1について聞かれた濱家さんはこう答えています。

濱家「特別ですよM-1はやっぱり。高三の時に初めて始まったんかな。こんなおもろい番組あるんかってほんまに思った。そっから自分が芸人なって出てきてるし。特別ですよね。やっぱ優勝したいですよね」

そして2018年。かまいたちは再びM-1決勝の舞台に現れました。

研ぎ澄まされた濱家の神経

かまいたちの名は3組目に呼ばれました。その時、他の出場芸人から「すげえ!」という声があがっていましたが、これには伏線がありました。

2018年12月15日放送の「土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送」というナイツのラジオ番組にかまいたちが出演され、かまいたちのお二人がその時のお話をされています。

濱家「僕本番始まったくらいから、ものすごい神経バキバキで、勘が冴(さ)えてたんですよ。始まってすぐぐらいでまだ誰もネタやってないんですけど、1番目と2番目があんまりのウケで、3番目に僕ら回ってくるなって思ったんですよ。で、山内に『3番目に回ってくるから。1番目2番目あんまりの状態で俺ら回ってくるから準備しとけよ』って言ってたらホンマに3番目にきて」
山内「僕ら笑神籤(えみくじ)3番目に引く前に、『濱家が3番目に引くって言うてんねんけど』って周りに言って、ホンマに3番に出て、裏もう『うわ~!』ってなって」

極度の緊張感のなかで神経が研ぎ澄まされ、神がかり的な勘の力が発動されていた状態だったということでしょう。実際、かまいたちのネタは本当におもしろかったです。

決勝の舞台で渾身の漫才をする

1番目の見取り図、2番目のスーパーマラドーナであまり盛り上がらなかった会場に比べて、かまいたちのネタは確かにおもしろく、確かにウケていました。事実、かまいたちが漫才を終え、出番を待つ他の出場芸人たちの横を通るとき、山内さんはガッツポーズをしました。

しかし、二人の手ごたえは幻に終わりました。

点数が、伸びない

ネタの内容の割に、思ったように審査員の点数が伸びなかったのです。

そしてかまいたちの結果を見て、出番を待つM-1決勝経験者たちが1番手の見取り図、2番手のスーパーマラドーナが終わって覚えた違和感は、確信に変わっていました。

決勝経験者のスーパーマラドーナの武智さんが、かまいたちに話しかけます。武智さんも、会場の空気の違いに気付いていたのです。

武智「だいぶ重かった?重かったよな」
山内「ずっと(笑いを)引きずらない」
武智「去年と全然ちゃうな」

会場の空気が重苦しさから解放されぬまま、4番手にジャルジャルが登場します。

ジャルジャルのストーリー

コント師としてはトップレベルの評価を受けるジャルジャルは、なぜM-1という舞台に挑むのでしょうか。

ジャルジャルのM-1挑戦

ジャルジャルのM-1挑戦は2002年に始まります。この時まだNSC(よしもとのお笑い芸人養成所)に在学中です。

結果は一回戦敗退。

他の芸人のネタをメモる

センスだけで勝負しているように思われる節もあるジャルジャルですが、このとき福徳さんは他の芸人のネタを客席でメモしておられました。

あの島田紳助さんも、若いころに上沼恵美子さんの漫才(上沼さんは昔、海原千里・万里という漫才コンビを組んでいた)を書き起こして研究していたと仰っておられますし、松本人志さんも島田紳助さんの漫才(島田紳助さんは昔、紳助・竜介という漫才コンビを組んでいた)のネタをコピーしていたと仰っていたり、天才と言われる方でさえも、やはり研究しておられます。

福徳さんも、ただセンスだけで勝負しているわけではなかったのです。

準決勝の常連に

やはりセンスのあるジャルジャル。2006年からは準決勝の常連となります。

2003年、3回戦敗退
2004年、3回戦敗退
2005年、3回戦敗退
2006年、準決勝敗退
2007年、準決勝敗退
2008年、準決勝敗退
2009年、準決勝敗退

コントを主戦場としながらこの成績は本当に凄いことです。2008年のM-1予選の際は、こう仰っています。

福徳「コントを漫才にしました。いつも通り。毎年通り。漫才は作れませんので、コントを漫才にしました」

ジャルジャルはあくまでコント師だというプライドが、彼らにはありました。

ついに決勝に進出する

コント師でありながら2010年、ジャルジャルはその非凡な才能でついに決勝に進出します。

ちなみにこの時、トータルテンボスの大村さんは、『トータルテンボスのしのびナイトかまわん夜』というインターネット放送の番組内で、あくまでジャルジャルの実力を認めたうえで、漫才の最高峰の舞台であるM-1決勝にジャルジャルは違うだろうということを仰っています。

そんな中で挑んだM-1決勝、結果は出場9組中8位。

審査員の松本さんはコメントを求められ、こう仰いました。

松本「漫才と取っていいのかっていうのがちょっとありましたね」

確かにこの時のジャルジャルのネタは、あくまで「漫才」を題材にしたコントを、漫才の舞台でやっているようなネタだったのです。

再び決勝の舞台に登場

2015年にM-1が復活し、ジャルジャルは見事に決勝の舞台に再び現れます。

そして、ファーストラウンドを1位で突破する高得点を叩きだしました。しかし、ジャルジャルの心は浮かなかったのです。

漫才と認めてもらえない

2015年のM-1は特殊な年でした。というのも、2010年にM-1は一度終了し、2015年はM-1が復活した最初の年だったのです。

さらに、審査員もこれまでとは違い、アンタッチャブルを除く2001年から2010年の歴代M-1王者たちが審査をした年でした。

そのM-1歴代王者から軒並み90点以上の高得点をつけられましたが、中川家・礼二さんの得点は89点と、他の審査員と比べて低かったのです(※ますだおかだ・増田さんの得点も89点)。礼二さんは司会の今田耕司さんからコメントを求められ、こう応えました。

礼二「ようウケてましたし、良かったと思うんですけども、細かい言葉のそういうのが多かったですけど、ラリーが。なんか大きなネタの枠があって、付録でそういうのをつけてもらえると、より一層漫才っぽくはなったかなと」

誰もが認める漫才師の中川家・礼二さんからは、漫才として評価してもらえなかったのです。

変わり始めたジャルジャル

2016年のM-1に挑む中で福徳さんはこう仰っています。

福徳「今まで正直M-1、僕らずっとコントやったんで、全然緊張せんかったんですよ。遊び半分でM-1受けてて、前回大会の一番最後の時(2010年のM-1)に偶然決勝出れて、その時もちょっと余裕やったんですよ。普段コントやってるしなみたいな。お遊びで受けて。去年(2015)も、お遊びじゃないですけど、あくまで俺らのメインはコントやしなとか思いながら漫才気軽にやってたんで、すごい楽しくできたんですけど、いかんせん去年がウケて、漫才楽しいやんけってなってもて、それでもうスイッチ入ってもうて」

しかし、2016年のM-1は準決勝敗退。それでも、ジャルジャルは元々コント師です。そんな彼らが、いつしか変わり始めていました。

福徳「いつしか、人生が、漫才に、おかされてる。漫才に、僕の人生が、おかされてる。知らん間に」
後藤「漫才病や」

コント師であるはずの彼らが、漫才の魅力にとりつかれて離れられなくなっていたのです。

リベンジのチャンスが訪れる

やはりジャルジャル。2016年は決勝へ進めませんでしたが、翌2017年は決勝の舞台に再び登場します。リベンジするまたとないチャンスです。

ネタは「ピンポンパンゲーム」。会場はウケており、高得点となるかと思われました。しかし、結果は6位。

審査員の松本人志さんには、「僕は一番おもしろかった」と言ってもらえましたが、認めてもらいたかった審査員の中川家・礼二さんの出した得点は2年前と同じ89点。

礼二「いやもうほんまおもしろかったんですよ。ジャルジャルの世界観で。これぞジャルジャルだみたいなのがあったんですけど、やっぱり何かこう展開が大きい笑いが…同じ繰り返しがあったんで、違う裏切られたような感じも見せてほしかったなっていうのがありましたけど」

またしても、中川家・礼二さんに漫才を認めてはもらえませんでした。

出番終了後、福徳さんは今回も礼二さんに認めてもらえなかったことに落胆します。

福徳「また礼二さんアカンかった…」

ジャルジャルが中川家・礼二にこだわる理由

なぜ、ジャルジャルは中川家・礼二さんにこだわるのでしょうか。2018年11月に福徳さんはこう答えておられます。

福徳「僕らの最大のライバルは礼二さんなんです。中川家さんの漫才見たら納得せざるを得ないんですよ。すごいんですよ。舞台観たら。なんじゃこの笑いの量。ハナから大爆笑。説得力凄いからそうなったらもう礼二さんに認めてもらわんと、って今年また挑んでるんで」

優勝したい。同じくらい礼二さんに認めてもらいたい。そう思ってジャルジャルは2018年のM-1に挑みました。

中川家・礼二を動かす

ネタは「国名分けっこ」。ネタはやはりジャルジャルらしいネタでしたが、これまでのジャルジャルにはなかった、いかにも漫才らしい導入でした。

この「国名分けっこ」のネタ。台本がないことをジャルジャルのお二人が明かしておられます。会場の空気に応じて後藤さんがツッコむタイミングを変えているのです。つまり、国名分けっこのゲームを、ジャルジャルはM-1決勝の舞台で本当にゲームとしてプレーしていたのです。

そして、審査員の得点。中川家・礼二さんの得点は、93点でした。ようやく、憧れの礼二さんにジャルジャルは漫才を認めてもらえたのです。コメントを求められた礼二さんはこう応えました。

礼二「4組目で、ジャルジャルがおそらく一番ウケたんちゃうかなと。単純な判断。で、過去何年かM-1出てずっと形を変えなかった頑固さが凄いなと」

自分たちのスタイルを変えない、いい意味での頑固さが、ついに中川家・礼二さんを動かしたのです。

霜降り明星のストーリー

M-1グランプリ2018で見事に最年少優勝した霜降り明星。しかし、彼らも決して順調ではなく、M-1にとりつかれた他の芸人同様に、やはり苦しみました。

霜降り明星結成の運命

霜降り明星は、最初から霜降り明星ではありませんでした。

粗品さんとせいやさんは高校生の頃、それぞれ別々のコンビとして漫才コンテスト(ハイスクールマンザイ)に出場して出会います。しかし霜降り明星の運命はそこではまだ交わらず、せいやさんは大学へ進学し、粗品さんは大学へ進学するもピン芸人として活動します。

そして2012年、関西では年末恒例の番組、「オールザッツ漫才」で粗品さんはわずか19歳という史上最年少で優勝します。将来有望なピン芸人が出てきた。誰もがそう思いました。

しかし、優勝が決まった後のインタビューで、笑い飯・哲夫さんにマイクを向けられた粗品さんはこう応えました。

粗品「成人したらスーツ着て漫才がしたいんですよ」
哲夫「えっ!?あんなおもろいネタ持ってんのに?もうちょっと一人でやってもええんちゃう?」
粗品「いや…ありがとうございます」

粗品さんはせいやさんと組むことを決めていたのです。

そして2013年、霜降り明星は結成されます。

才能の証明

粗品さんは、オールザッツという関西人なら誰もが知る年末恒例の番組で最年少で優勝し、周りから認められていました。一方でせいやさんは当時よしもとにも所属していない普通の大学生です。「才能が釣り合わない残念なコンビ」、「粗品は才能あるのに相方が残念でもったいない」と周りから散々言われていました。

そんななか、2015年。2010年に一度は終了したM-1グランプリが復活します。当然のごとく霜降り明星はM-1へ挑戦します。

結果は3回戦敗退。

しかし、才能あふれる彼らはメキメキと力をつけ、2016年、2017年と2年連続で準決勝へと進みます。このころには「才能が釣り合わないコンビ」とバカにする者も消えていました。誰もがその才能を認めるようになっていったのです。

粗品が頑張る理由

なぜ、粗品さんは頑張り続けるのでしょうか。2017年、カメラを向けられた粗品さんはこう応えています。

粗品「やっぱ親孝行したいです。それだけでちょっと頑張ります。結果が全てなので優勝します」

粗品さんのお父様は粗品さんが高校3年生の時に他界しています。それからは、「普通の人生を送ってほしい」というお母様の本心に気付かないフリをして、芸人を続けてこられました。粗品さんはずっと罪悪感を抱えていたのです。

だからこそ、優勝して母親を安心させたい、そう強く思っていたのです。

霜降り明星の戦略

「第7回ytv漫才新人賞」という関西のコンテストで優勝し、関西では霜降り明星はすでに認められていました。だからM-1の決勝に行くのも時間の問題。周りはそう思っていました。

ですが、彼らは彼らなりに戦略を持っていたのです。2018年10月、カメラを向けられたせいやさんはこう応えておられます。

せいや「ラストイヤーの人たちがやろうとしていることを同じ感じで行ったら絶対勝たれへん。ボロ出る。真似しようとしたら。漫才のうまさとか。こっちはこっちの違う競技で戦うしかないなって感じですもう」

若さを生かして舞台で暴れ回る。それが霜降り明星の戦い方だと考えていたのです。せいやさんは肺活量を鍛えるためにプールで泳ぎ、ジムで筋トレに励みました。M-1で彼らより地力のある漫才師に対抗するために、自らの強みを生かす戦いが出来る肉体を作り上げていたのです。

結成5年目初の決勝

準決勝は彼らの思った通りの出来となりました。準決勝のその日、会場は霜降り明星が一番ウケていたのです。

出番が終わり、舞台袖にハケたせいやさんは決勝を確信し、ガッツボーズを決めていました。

そして彼らの確信は間違っていませんでした。結成5年目にして決勝へ勝ち進んだのです。

圧巻の決勝

決勝では会場の空気が重く、他のコンビたちは思ったように点数が伸びませんでした。

そんななか、霜降り明星は彼らの強みを生かした熱量のある漫才を披露し、その日一番の爆笑をかっさらいました。

優勝候補筆頭の和牛の出番を前に、暫定でトップに立ったのです。

和牛のストーリー

今もっとも劇場チケットがとれない芸人と言われる和牛。二人の漫才はもう芸術の域に達しており、今では誰もが認める漫才師です。

しかし、彼らは決して漫才エリートではありませんでした。

漫才エリートではなかった和牛

和牛がコンビを結成したのは2006年。この時のM-1挑戦では、なんと1回戦で敗退しています。2007年以降も思ったように結果は出せませんでした。

2007年、2回戦敗退。
2008年、2回戦敗退。
2009年、準決勝敗退。
2010年、準々決勝敗退。

同期のかまいたちが2005年で準決勝に進んでいることを考えたら、あの和牛が2007年、2008年と2回戦で敗退しているなど今では考えられないことです。今では誰もが認める漫才アーティスト・和牛は、決して漫才エリートではなかったのです。

初の決勝進出から背負った苦悩

2015年、ついに念願の決勝へ進出しますが、結果は6位。6位でしたが、出来は優勝してもおかしくないような可能性を感じさせるものでした。

2015年はダメだったけど和牛がM-1を獲るのも時間の問題だろう。多くの人がそう思いました。しかしそこから、和牛にしかわからない苦悩を背負うことになるのです。

準優勝の呪縛

2016年、和牛は敗者復活から決勝に進みますが、2007年のサンドウィッチマンが敗者復活戦から決勝に進み優勝したときのように、なぜ和牛がストレートに決勝に来ていないのか不思議で仕方ないと思わされるほどの漫才を披露。多くの人が和牛の優勝を確信しました。

しかし、優勝は銀シャリ。

2016年、和牛は準優勝に終わりました。救いは、あの松本人志が最終決戦で和牛に1票投じてくれたことでした。

その翌2017年。もう和牛がM-1の決勝に出るのは当然になっており、一体和牛は今年はどんなネタを見せてくれるのか。みんなが和牛の漫才を待ち焦がれるようになっていました。

そして上がり切ったハードルをものともせず、期待を裏切らない漫才を披露。今年こそはー。誰もがそう思いました。

しかし、地獄の底で泥水を舐めながらひたすら腕を磨き続けたラストイヤーのとろサーモンに優勝をかっさらわれてしまい、結果はまたも準優勝。

2年連続M-1準優勝。それはあのM-1の伝説・笑い飯でも経験したことのない結果でした。

本番後、他の出場芸人が楽屋に戻る中、和牛の二人だけは舞台袖を離れられず呆然としていました。2年連続M-1準優勝は栄誉あることでしたが、優勝だけを目指した和牛にとっては、それは何の意味もない栄誉だったのです。

「和牛」を超えるために

呆然自失となった2017年のM-1決勝から1年。和牛は再び決勝の舞台にやってきました。

和牛は静かに悟っていました。ライバルは、和牛だと。それはつまり、ライバルは他でもないこれまでの自分たちだということでした。彼らは2018年の決勝で、「和牛」に勝つための漫才をやろうと決めていたのです。

ネタが始まると、会場は妙な空気に包まれました。これまでとは違う静かな滑り出しで、明らかに大きな笑いがなかったのです。見ているみんながどこかで和牛に期待してしまっていました。今年はどんなネタで爆笑させてくれるのだろうと。

しかし、大爆笑を期待したその和牛のネタで、笑いの量が明らかに少なかったのです。あれ?あれ?和牛、大丈夫?と、見ているみんながどんどん不安な気持ちになっていきました。

みんなの不安を利用した和牛

しかし、最後の最後、水田さんが突然ゾンビになってしまうところで、この日一番の爆笑が会場を包み込みます。

笑いはよく、「緊張と緩和」だと言われます。みんなが和牛に抱くであろう笑いの量の少なさの不安という緊張を、和牛はあえて自分たちで生み出し、それを利用して自分たちが作った一番のハイライトに緩和をぶつけさせて爆笑を発生させようと考えていたのです。

大きな笑いがない不安から解き放たれた会場の人たちは、大安心を持ってこの日一番の爆笑を和牛にささげたのです。

審査員のサンドウィッチマン・富澤さんは、すぐさま和牛の意図を見抜きました。コメントを求められ、こう仰ったのです。

富澤「悔しかったですね。和牛が思ってるように見てしまいました。やられました」

自分たちの思惑通りに会場を巻き込んだ和牛は、霜降り明星に次ぐ2位という高得点で最終決戦に進みます。

敗退したミキも絶賛

和牛が2位に食い込んだことにより、それまで3位だったミキが敗退してしまいます。しかしミキは和牛に対して最大級の賛辞を送ります。舞台袖にハケてきた和牛に対しミキが話しかけたのです。

亜生「ほんまにすごい。マジですごい。何回決勝行くねん」
昴生「ほんまや。頭おかしいんちゃうか。絶対優勝せえよ」
亜生「今年や今年」
昴生「優勝せんかったら来年またしんどいぞ」

自らを負かした敵に対してすぐに賛辞と激励を送ることの出来るミキのお二人も本当にすごいですが、和牛のあの完成された漫才を見てしまいますと、もう負けを認めざるを得ないと思います。和牛の漫才はもう漫才という枠にもM-1という枠にも収まらないほどの域にまで達してしまっていたのです。

エピローグ

敗者はいなかった

最終決戦の結果は、霜降り明星が4票。和牛が3票となり、霜降り明星が優勝しました。

しかし、勝者はいましたが、そこに敗者は1人もいませんでした。

あれだけ優勝を切望した和牛、ジャルジャルが、敗れたにもかかわらず晴れやかな表情をしていたのです。

福徳「もう漫才に全力を注ぐことはないでしょうけど、ジャルジャルずっとコントやってたんで、コントに全力を注いでいく人生になるんですけど、お笑い人生の中でこんだけ漫才に本気になれたのが意外でした。芸歴10年目くらいの時は漫才やるわけないと思ってたし」

コント師・ジャルジャルが漫才に対して本気で取り組む姿は本当にかっこいいものでした。

水田「また来年はもっと面白いネタ持ってきます」

あれだけのネタを持ってきてM-1グランプリ3年連続準優勝。本当に燃え尽きて漫才を辞めてもおかしくない精神状態なはずなのに、もう来年を見据えてこのようなコメントが言える和牛のことを敗者だと思う者はいないはずです。

そして、最終決戦に進むことができなかった芸人たちも、それは一緒でした。

渾身のネタを披露したかまいたち。順位は5位でしたが、濱家さんの中では相方の山内さんが一番でした。M-1の決勝が終わり、帰りのエレベーターに乗る山内さんを見送る濱家さん。山内さんと握手をしながらこう言います。

濱家「おもしろかったな山ちゃん。おもしろかった。ありがとう。おもしろい。一番おもしろい」

M-1が終わった後に芸人さんたちがラジオなどでM-1の感想を語るのが恒例行事のようになっておりますが、そのなかで同じ芸人からの評価が非常に高かったのがかまいたちでした。しかし、かまいたちはM-1への出場資格はまだありますが、2018年のM-1を最後にしようと考えていたのです。

山内「今年最後にしようと思ってたんで。ネタもめちゃくちゃいいネタができて、やってたんで。だから今のところ(M-1は)今年で終わりにしようかなと思ってるんですよね。まあ残念っすね。でも気が変わるかもしれない。一晩寝たら。スロットで大負けした次の日も結局並んでたんで。そういう現象が起きるかもしれない」

是非、気が変わってください。2019年のM-1でも、またかまいたちの漫才が見たいです。みんなそう思っています。

かけがえのない勝者

一方、勝者となった霜降り明星の粗品さん。

控室に戻り、お母様に優勝報告の電話をかけます。

お父様が他界され芸人になって6年。ずっとお母様を心配させてきたという想いが、粗品さんにはありました。想いはあふれ、優勝報告の電話は嗚咽(おえつ)にまみれます。

粗品「母ちゃんが、立派な息子やって言ってくれて嬉しかったです…。ちょっとだけ、親孝行できました…」

今回のM-1グランプリ2018でもそうでしたが、「第7回ytv漫才新人賞」という関西のコンテストで優勝された時も、粗品さんの口からまず最初に出た言葉は、「母ちゃんに…」という言葉でした。

「やっと」親孝行できた、ではなく「ちょっとだけ」親孝行できた、というところに粗品さんの人間性が現れていると思います。

今回のM-1グランプリで優勝しようが優勝できなかろうが、お母様にとって、粗品さんはとっくにかけがえのない立派な自慢の息子となっていたはずです。

勝者の凱旋(がいせん)

M-1優勝後の2018年12月4日、霜降り明星は大阪の「よしもと漫才劇場」にいました。

霜降り明星はM-1のために、この「よしもと漫才劇場」で苦しみ続けたのです。舞台袖で出番を待つ粗品さんはあふれる想いと涙をこらえることができませんでした。

粗品「コンビ組んでよかったなと思います…」

舞台に出て行ってからも、粗品さんとせいやさんの二人は想いがあふれ、涙を止めることが出来ませんでした。そしてお客さんは、彼らが大阪で腕を磨いて苦しんできたことを知っていました。

笑わせに来た霜降り明星と、笑いに来たお客さん。

その日、よしもと漫才劇場では、みんなが泣いていました。

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